嫌われる勇気を読んだ感想

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こんにちは。マインドフルネスワークスの誠です。今回は、「嫌われる勇気を読んだ感想」というテーマでお話ししていきたいと思います。

一昔前に流行った本で、

改めて読み返してみましたので、

今回はその感想を書いていきたいと思います。

 嫌われる勇気ってどんな本?

嫌われる勇気は、

哲学者である哲人と一人の青年との会話形式で展開される

構成となっています。

 

これは、フロイトユングに並び、「心理学の三大巨頭」と呼ばれる

ルフレッド・アドラーの思想のついて書かれた内容となっています。

 

アドラー心理学は、日常において「使える心理学」としても有名です。

 

今回は、嫌われる勇気を読んで印象に残った内容を

お伝えしていきたいと思います。

全ての悩みは「対人関係」

人には様々な悩みがあると思います。

人間関係の悩み、仕事の悩み、お金の悩み、健康の悩み、夢への悩みなど。

 

それら全ての行きつく先は、「対人関係の悩みである。」ということです。

 

このことを理解すれば、いかに対人関係の問題を解決していくか。

その為に、いかに「自分自身の考え方を変化させていくか」が、

より幸せな人生を歩む為に必要であると考えます。

 

もちろん、悩みそれ自体は悪いことではありません。

その問題を乗り越えた先に新たな成長があると思っています。

原因論を否定し、目的論の立場を取る

原因論とは、「過去にこんな出来事があったから自分はこれが出来ないのだ。」

といった、トラウマ的な考え方で、行動出来ない理由付けをするということ。

 

一方、目的論とは、自分の得たいものがあって、それを得る為に、

現状を作り出しているということです。

 

例えば、赤面症で苦しむ人がいて、

過去にとても恥ずかしい経験をしたから、

今も赤面症に悩んでいるという人がいたとします。

 

過去に恥ずかしい経験をしたというのが原因論

 

アドラーはこれを否定し、目的があって、赤面症を

作り出していると言うのです。

 

つまり、赤面症という理由があれば、

対人関係において傷つくということも回避出来るからです。

 

何はともあれ、人は行動しないよりは行動した方が良いでしょう。

 

原因論という立場を取る限り、「出来ない理由」だけが見つかってしまいますが、

目的論という立場を取れば、それが無くなります。

課題の分離

コミュニケーションにおける様々な問題は、

課題の分離が出来ていない為とアドラーは言います。

 

課題の分離とは、人が社会生活を営む上で直面する様々な問題に対して、

他者が介入することを許してはいけないということです。

 

例えば、親が子供に「勉強しなさい。」と上から命令するというのは、

課題の分離が出来ていないということになります。

 

勉強をしないことで起きる自体を最終的に引き受けるのは子供自身です。

つまりこれは、子供の課題である訳です。

 

だから、親は子供の課題に対しても、土足で踏み入るようなことはせず、

勉強をしないことで起きることを説明するにとどめるということになります。

 

結局、他者の課題に介入するということは、

介入する人自身の価値観で判断していることが多いのです。

承認欲求を否定する

承認欲求とは、人から認められたいという人間の欲求のことです。

 

アドラーはこれを否定します。

 

そして、上司や部下、親と子供といった関係においても、

「褒めてはいけない、叱ってもいけない。」とアドラーは言います。

 

その理由は、褒めること、叱ることというのは、人を評価するということに

つながるからです。

 

人を評価するということは、先ほども触れましたが、

評価する人自身の価値観で判断していることが多いです。

 

そしてこれは、賞罰教育へとつながります。

 

賞罰教育は、「これが出来るからあなたには価値がある。」

「これが出来ないからあなたには価値が無い」ということにつながります。

 

そうではなくて、存在のレベルで人に感謝の気持ちを持とうということになります。

 

アドラーは、対人関係を縦の関係ではなく、横の関係で捉えます。

 

つまり、上司や部下、親や子といった社会的な関係性における上下ではなく、

「私とあなた」といった一人の人間同士という目線で人を見ます。

 

だから例え、社会的な関係性における上下が下であっても、

明らかにおかしいと思えることは異を唱えて構わないのです。

 

もちろん、異を唱えるということは、嫌われるということにつながることもあるでしょう。

 

でもそれで構わないのです。

 

嫌われるということは、自分の考えに正直に生きている証拠であり、

自由への扉を開いているということなのです。

まとめ

いかがだったでしょうか?

 

嫌われるということは一般的に良くないことだという考えがありますが、

アドラーは嫌われる勇気は、自由になる勇気と言います。

 

私もこの考え方には賛成であり、社会の常識という言葉で、

理不尽がまかり通ってしまうということは、おかしな話であると思います。

 

もちろん、横暴に振る舞って自ら嫌われることをしなさいと言っているのではありません。

 

他者との関係を保ちつつ、思うことがあれば正直にそれを言っても構わないということです。

 

それが自分自身の考えを貫くという点で自由であるということです。

 

自分が心からやりたいこと、考えていることを、

常識だからとか普通という言葉でないがしろにせず、

嫌われる勇気、すなわち、幸せになる勇気を持っていきましょう。